EPISODE 06

酸素残高。

監査は終わった。宇宙銀行は「生活改善台帳」になった。 すべてが落ち着くはずだった。そのとき、誰かが言ってはいけない言葉を言った。

酸素は担保になりませんという宇宙銀行風の警告広告
MISSION LOG

言ってはいけない
言葉がある。

監査のあと、オービット・ハウスには静かな安心が戻っていた。 宇宙銀行は正式に「生活改善台帳」と呼ばれることになり、 エアロック横ATMは「収納箱」に戻された。

しかし、安心は長く続かなかった。

「酸素も、残高管理できますよね?」

安全管理されたデータとロックされた宇宙銀行ではない台帳

その発言をしたのは、誰だったのか。

のちに議事録を確認しても、発言者の名前は残っていなかった。 音声記録には、たしかに声が入っている。 しかし、その瞬間だけ、全員が同時に咳払いをし、 空調音が大きくなり、右手袋のササキさんが画面の前を横切った。

「酸素も、残高管理できますよね?」

ステーション内の空気が、物理的ではない意味で凍った。

月森レイは、ゆっくり顔を上げた。 彼女の表情は、怒ってはいなかった。 怒っていないからこそ、怖かった。

「酸素は、残高管理しません」

ダイチはすぐにうなずいた。

「しません。絶対にしません」

ミノルも、枕司令官を抱えながらうなずいた。

「司令官も、しないと言っています」

地球側の黒川管制官は、目を閉じた。 監査は終わったはずだった。 しかし、どうやら第2監査が必要かもしれなかった。

線を引く

ダイチの台帳は便利だった。 スナック、工具、テープ、黒ペン、通信時間、掃除当番。 それらは、共同生活の中で「返す」「借りる」「覚えておく」ために役立っていた。

しかし酸素は違う。 水も違う。 電力も違う。 生命維持に関わるものは、貸し借りの対象ではない。 誰かの残高になってはいけない。

レイは、白い紙に太い字で書いた。

生活改善台帳・絶対禁止項目
酸素

電力
医療用品
生命維持装置
人の尊厳

最後の一行を見て、ダイチは少し黙った。 それから、静かに言った。

「その項目は、最初から入れておくべきでした」

MANGA SEQUENCE

酸素は、
冗談にしてはいけない。

酸素は担保になりませんという警告ポスター
PANEL 01

沈黙。

宇宙ステーションでは、言葉にも重さがある。 無重力でも、重い言葉がある。

「酸素は残高管理しません」

月森レイが冷静に酸素系を修理する場面
PANEL 02

レイは、
線を引いた。

生活の冗談と、生きるための装置。 その境界線を、彼女は誰よりもはっきり知っていた。

「ここから先は、笑いの外です」

ヘルメットに映る青い地球

NEW RULE

オービット・ハウス
生活改善台帳・新規則。

RULE 01

生命維持は残高にしない

酸素、水、電力、医療用品、生命維持装置は、 貸し借り、残高、担保、ポイント、先物、融資の対象にしない。

「酸素はみんなのものです」

RULE 02

冗談の範囲を明記する

宇宙銀行、ATM、苺先物などは作品内の冗談として扱う。 現実の安全や生命に関わる表現とは混ぜない。

「混ぜると、黒川さんが眠れません」

RULE 03

困ったらレイに聞く

判断に迷ったら、レイに確認する。 彼女が静かに首を振った場合、その案は即時停止とする。

「静かな首振りは、強い拒否です」

地球側、
今度は速かった。

黒川管制官は、今回は迷わなかった。 フォームを探す前に、まず言葉を止めた。

「酸素残高という表現は使用禁止です」

法務部も、広報も、生命維持担当も、珍しく全員が同時にうなずいた。 宇宙銀行のときとは違う。 これは笑える混乱ではなく、境界線の確認だった。

「今回は、地球側も即決です」

宇宙銀行の報告に困るミッション管理局と法務担当

SCRIPT SAMPLE

第6話、
名場面。

SCENE

生命維持区画

壁には酸素循環系の表示。 緑色のランプが静かに点灯している。 乗員たちは、いつもより少し真面目な顔で集まっている。

ダイチ:「台帳の対象から、生命維持関連を除外します」

レイ:「除外ではなく、最初から対象外です」

ミノル:「枕司令官も、酸素は全員に平等だと言っています」

黒川管制官:「その点については、枕司令官に同意します」

ダイチ:「ササキさん、コンプライアンス確認を」

ミノル:「右手袋のササキさん、強く承認しない方向です」

禁止!

LEDGER POLICY

台帳対象一覧

フリーズドライ苺 記録可
工具 記録可
共用テープ 記録可
黒ペン 記録可
酸素 絶対不可
絶対不可
人の尊厳 記録対象外
OFFICIAL NOTICE

生活改善台帳・第2版

生活改善台帳は、共同生活の貸し借りを整理するためのものであり、 生命維持資源、身体、尊厳、安全、医療に関わる項目を 記録、評価、残高化してはならない。

「宇宙でも、線を引くことは大事です」

フリーズドライ苺先物市場警告広告

では、苺は?

重い空気を少しだけ軽くしたのは、ミノルだった。 彼は白い紙を見ながら、小さく手を上げた。

「フリーズドライ苺は、まだ記録対象ですか?」

レイは少しだけ笑った。 黒川も、画面の向こうで少しだけ肩の力を抜いた。

「苺は、返してください」

その一言で、ステーションに笑いが戻った。

地球窓の夜の静かな漫画アート
HEART

冗談を守るために、
冗談にしないものを決める。

Spaceman.co.jp の世界では、笑いは大事です。 宇宙銀行も、エアロック横ATMも、枕司令官も、 笑いがあるから人を少し救っています。

でも、本当に大事なものを守るためには、 笑いの外に置くものも必要です。 酸素、水、電力、尊厳。 それらは、誰かの残高ではなく、全員の土台です。

「笑える場所を守るために、笑わない線を決めるんです」

新しい名前

ダイチは、台帳の名前を少し変えた。

旧名称:宇宙銀行
監査後名称:オービット・ハウス生活改善台帳
第2版名称:オービット・ハウス生活改善台帳・安全境界版

長すぎる、とミノルは言った。 正確です、とレイは言った。 仕方ありません、と黒川は言った。

ダイチは、端末の設定を保存した。 その瞬間、画面の端に小さく表示された。

「フリーズドライ苺:未返却」

全員が、同じ方向を見た。

ミノルは、静かに言った。

「それは、残高管理していいやつです」

レイは、うなずいた。

「それは返してください」

NEXT EPISODE

次回、
月面権利書。

Mission Log: 酸素は守られた。だが、誰かが月面一区画と書いた紙を見つけた。